頽廃の沼滞在記

シアワセはゴールドムーンより高価

死者はうさぎの夢を見るか

こんばんは。

何かもわんもわんとした益体のない話をしますよ。今までもでしたが。

一昨年去年は東京からその近辺を無職の身でふらふらしていたのですが、去年はとても精神がよろしくなくて、特に寒くなった時分が殊更でありまして、その頃に感じていたことをつらつらと書いていきます。今も無職に毛が生えたようなもんなのでは?やめろ。その毛が大事なんだ。

当時、生きているというか存在していることそのもののコストが本当にしんどくて、生が曖昧になる睡眠中は少し楽なので暇さえあれば寝てました。味方殺しの女騎士とかこんな気分だったのかもしれません。平日の昼間に百貨店の屋上で昼寝して時々起きては鳩の求愛を邪魔してました。馬に蹴られなくてよかった。

そうやって生を拒否しかけると希死念慮というのが薄らぼんやりと目覚めてきます。死にたいっていうか死んでみようかな、みたいな。生きてるの怠くね?って。

僕は自分でもわかる程度には傲慢ちきなヤロウなので、生きていて申し訳ない…みたいなタイプのやつじゃなかったんですけど、それ故に希死念慮くんが元気になってくると世界が憎くなってきました。何で僕がつらいのにお前ら幸せやねん、みたいな。いや、そりゃあ努力もせずに進んで自堕落した結果、平日の昼間から鳩と戯れている奴がキレててもただの狂人なんですけど。

そうして、他人のことも愛すべき隣人とも思えない、興味無しから憎悪の対象になったら、人間蔓延ることにおいて他の追随を許さないコンクリート・ジャングルはもはや地獄です。つらさのサイクルゲージは熱く熱く焼き付けられていきます。

逃げたい、けど社会的にももう逃げる道もない。気力はとうの昔に枯れ果てた井戸。そういった時に話しかけてくるんです。

これなら死んでも別に変らんくね?生きててもめんどくさいだけやんけ。

死なないまでも未遂ともなれば気が引けるよ?注目されるの好きでしょ?

間違って死ねたもんなら、それはそれでもういいじゃん。

ほら、ここの橋とか高くていいじゃん。いつも寝てる屋上の柵とか乗り越えられるくらいじゃん。縄の結び方とか調べてみようよ。ねえ。

数か月前まで疲れ果てた僕を労わってくれるような都合の良い幻聴ではなく、ひたひたと僕の斜め後ろをじっとりと暗く優しい何かがついて歩いてくるようでした。頭の中にもう一人の自分とか出てくるなら、素子と可奈子のどっちが好きかみたいな議論してくれる奴がよかったのに。

電車が来る時に一歩前で待ってみようかな…もう一歩前で…。みたいに少しずつ現実も侵されていくんです。視界の端に、耳鳴りの中に、微かな欲求に、ちょっとした身近に、死があるんです。死って案外近くにあるのに、それに身を任せずにみんな生きていられるの凄いですよね。本当に生きているだけで凄い。すごいぞ、みんな。

それでも地獄の道に転げずに済んだのは、ごちうさの劇場公開スペシャルエピソード、dear my sisterの公開が控えてるからでした。

 

 

大袈裟か、その程度思い止まれるなら大したことないやろって思われると思うんですけど、マジなんで仕方ないです。家族体があって受診とかはしなかったんで、精神科的にどこまでアレだったのか分からないからガチ鬱の人に聞かれたら「希死念慮エアプやんけ」.みたいな鉞が飛んでくるかもしれないですが、作品の持つ力ってすごいんですよ、くらいに受け止めておいてください。

そんなこんなで公開されて劇場に通ってるうちに、原作の新刊が…とか、これなら3期ありえるんじゃね?とか色々湧いてきて、何とか死なずにいたら、今日まで取り敢えず生きていたといった感じです。

すべてがかわいいっていうのは死者を現世に留める楔になるって話でした。いつか、記憶が揮発しないうちに本当に生暖かくて薄ら寒い精神の泥濘も書き表してみたいんですけど、技量が追い付かない気もします。そもそも読みたくないですね、そんなの。

余談ですが、縄の縛り方は今年に入ってから釣りで役に立ちました。人生万事塞翁が馬ですね。塞翁さん頑張って。

おやすみなさい。