頽廃の沼滞在記

シアワセはゴールドムーンより高価

キョ

こんあばは。タイポした。そのままいきます。フルスロットル。

前回の記事は前にキャプションテキストが下にあると読みにくいとか言ったのにまた学習もせず下に書いていてたので修正とついでに加筆をしました。

今回は一周年も近いですし相当掃溜めです。

何か10月が終わりかけててウケますね。また無産の民ライフしてます。

ここ最近はモンハンしたり、色々過去と未来について考えて全てを滅ぼしたくなったりしています。この時期はいっつも謎の閉塞感に襲われて虚無の海でスキューバしています。あ、ヒョウモンダコだ。つまり、社会生活はかなりうまくいってません。妥当ですね。

人の生と死、目的、関わり方について最初に考え始めたのは幼稚園の雲梯の下だった記憶がありますから、正しく一生考えているわけですがこんなことを考え続けて正常に健康に明朗に生きられるわけはなくて。今も脇にトマトソースのパスタを置いて鬱々屈々とした酷く凍え寂れたような薄い鈍色の思考をここに投げているわけです。言葉にならないのは多分本当は何も考えていないからです。つららが背筋に入るような未来を予感しながらも言葉をこまねくだけなのは、そうすることでそれから目を背けようとしている己が小賢しさの為すそれ。にゃーん。

そんな最近一番心がさわやかになるのは枯葉を踏んでパリパリ鳴らすときです。本当に成人男性か?

頭の下に枕があって、外が暗くて、体を横たえたときに考えるものは大体しょうもないのですが、しょうもないことのせいで心がしんどくなって体が動かなくなると布団から抜け出す活性化エネルギーというものは枯れ果てるため頽廃と虚無の無限生産ラインが完成するわけです。これでお湯を沸かしてタービンを回しました。これが後の世でいう無気力発電です。エコでダーティで何も生まない。

昔から自分以外の人間が人だとは思わないように生きている節があったんですけど、最近歳のせいか思いやりが芽生えて他人の分まで勝手にしんどくなっています。当たり屋みたいな繊細ヤクザで、これは思いやりでは無く、はた迷惑だというものだとスーパーコンピューターが言っていました。

人間は皆何かしら考えて生きているらしいことがわかってきましたので、せめて虚無の海を共に潜らんとこんなインターネットの極北に来た皆さんが僕よりも健やかな気持ちで明日を迎えられるように地獄に祈るほかないわけです。

おやすみんさい。またタイポした、、、